へんてこ雷理の

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生涯除け者扱いされたオリンピック銀メダリストの勇気 

 

 

ブラックパワー・サリュート

(アメリカ公民権運動で黒人差別に抗議する示威行為)は 

有名な政治行為として知られています 

 

 1968年10月17日 メキシコシティオリンピック 

男子200メートル競争を世界記録で優勝したトミー・スミスと

3位に輝いたジョン・カーロスが 

黒い手袋をはめた拳を突き上げたこの写真  

 

2位に立つ彼の名前は 

オーストラリア人 ピーター・ノーマン 

「僕も人権運動を支持していることを証明したい」と  

彼らと同じ 無言の訴えを示すシンボルバッジを胸に 

表彰台に立ったのでした 

 

 

 

その後長い間 

新聞などのメディアにも非難・中傷された彼らのもとには 

殺害を予告する脅迫文さえ 何通も届けられたといいます 

 

” アメリカのオリンピックチームの代表は 

3人が生涯にわたって

大きな代償を支払うことになるだろうと発言しました ”

 

 

時代というのは 恐ろしいですね

 

 

 

オーストラリアでは1905年から1969年にかけて 

「先住民族の保護」「文明化」という名目で

約10万人の先住民族であるアボリジニの子どもを強制的に親元から引き離し 

白人家庭や寄宿舎で養育するという政策も行われていました 

 

実話を背景に「裸足の1500マイル」という映画にもなっていて 

私の中でもこの映画は とても印象深かったです

 

この時代に ノーマンの行動は 彼の人生を破壊しかねない

危険性の高い行為だったに違いなくて 

それを覚悟の上で正義を貫いた点で 

彼はほんとうに英雄です 

 

実際ノーマンは母国において 歴史から抹消されたかのような扱いを受けました 

1972年のミュンヘン・オリンピックでも 

選抜で出場資格を得たにもかかわらず 

オリンピックのオーストラリア代表から除外され 

 

スポーツ界を引退した後は 

体育の教師や肉屋などの職を転々とし 

アルコール中毒とうつ病に苦しみました 

 

 

ノーマンは当時 

信じられないような内容で

国から名誉挽回のチャンスを与えられたことがあります 

 

スミスとカーロスの行為を人類に対する冒涜だと公に非難すれば 

ノーマンの行為も許されるという  

 

 

ノーマンが その申し出を退けたのは当然のことです 

 

 

ジョン・カーロスはノーマンのことをこう言います 

「ピーターはたった一人で 国全体に立ち向かって戦っていたんだ」

 

 

 

2006年 心臓発作で亡くなったノーマンの葬儀で 

柩を担いだのは トミー・スミスとジョン・カーロスでした

 

 

 

2012年 

オーストラリア政府は ピーター・ノーマンに対し 

正式な死後謝罪をしています 

 

「何度も予選を勝っていたにもかかわらず 

1972年のミュンヘンオリンピックに

代表として送らなかったオーストラリアの過ちと 

人種間の平等を推し進めた力強い役割への認識に 

時間がかかったことを謝罪します」 

 

 

 

国民の英雄になるはずの人物が 

人権のために立ち上がったことで 生涯批判され 

2000年シドニーオリンピックにさえも 

招待されませんでした 

 

 

彼らが勇気を示したあの日から 49年が経った今も 

人類は 平等と人権のために戦っています 

 

 

 平等を実現する道筋は

私たちひとりひとりの行動にこそあると 教えてくれています 

 

 

 

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